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2020年10月20日 (火)

1984年

一九八四年[新訳版] (ハヤカワepi文庫)


政治には興味がないし、ブログやSNSで政治的なことを書くことはないのだが、この本を読んでみようと思ったのは、コロナ禍での色々な報道を見てて、何人かの政治家に全体主義的な匂いを感じたから。


あまりにも有名な本なので、ここで内容に触れるつもりはないが、一番衝撃を受けたのは公用語からどんどん言葉を減らして行くというくだり。
「良い」の反意語は「悪い」だが、この「悪い」という言葉をなくして「非良」にする。
「素晴らしい」は「超良」とか、言葉をなくしていくとその概念がなくなり、前述の例で言うと、人から「悪い」と言う概念がなくなる。
それは思考を停止させていくという国家戦略。


言葉をたくさん知っているということは、それだけ広く深い思考が出来るということ。
頭の中で何かを考える時、人は言葉を使って考える。


洗脳や拷問のように直接的な手段で思考停止にしていくのはわかり易いが、言葉をなくしていくというのはすごい。




最近、「忖度」や「あざとい」という言葉をよく見聞きするが、これは逆のケース。
ぼんやりとしたイメージでしか持っていなかった概念が、それを表現する言葉を持つことによって、明確に理解でき使うことが出来るようになる。
「忖度」なんて、一度知ってしまったらそれ以外の言葉ではもう考えられない。


考えるためには語彙力が必要だ。

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