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2018年1月 8日 (月)

①お寺さん崩壊②お寺の収支報告書

お寺さん崩壊 (新潮新書)
お寺の収支報告書(祥伝社新書)



檀家減少に伴う廃寺や、神社の敷地をマンション化してしまうような社会的課題の解決に何か出来ないかと考えていて、そもそもの実態を勉強する為に読んだ本。


どちらも住職さんが書いた本で、お寺の経営課題や寺檀問題に対する問題意識は共通しているのだが、そのアプローチが異なっていて、続けて読むには面白い2冊です。


例えば、お寺の収支について。
『お寺さん崩壊』では、どちらかと言うと、お寺の経営=収益を得るのが如何に難しいかの焦点を当てた話の展開に対して、『お寺の収支報告書』は、葬式仏教の中で、いかにふざけた名目や理屈でお寺が収益を上げているかの実例を積み上げて、その問題を論じている。


この2冊を読むことによって、どちらか一方に偏らない視点で、お寺の経営を理解することが出来る。




東京に住んでいると、誰にでも入りやすいように開けれている神社に対して、上野や三田あたりに連なる寺院はどこも閉鎖的・排他的で一般人が入りづらいようになっていたり、旅行で京都に行くと、その庭を見るだけで拝観料を取るような仕組みになっていたり、オープンとは言えない世界。
ただ、地方においては、その土地の緑を守り、普通に初詣に行ったり、お祭りがあったりと、その土地、その環境の中心として、寺院は中心的な役割を果たしている筈。


そんなお寺さんを、ビジネス的に支援するようなスキームをおぼろげながら描いていて、なんとか実現したいと思っているのだが、これらの本を読むと、本当にそんなことが必要なのか?とも思ってしまう。


私は神社好きで、ランニングの途中でも、好きな神社には一年を通して普段からお参りをするので、やっぱり神社を対象に考えるか?と思うと、富岡八幡宮みたいな神社庁も含めて救い難いような事例も出てくるし。


ま、とにかく実態はなんとなくわかってきたので、あとは具体的にどう実行するかですね。

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