司馬遼太郎が描かなかった幕末−松陰・龍馬・晋作の実像
なるほどね。
司馬遼太郎ファンの一般市民だけではなく、政治家までもが正確な歴史を認識せず、司馬遼太郎が描く幕末志士を熱く語っていることを著者は問題視する。
確かにそういう面もあるかとは思うけど、それはそれでいいのでは?
以前、会社の後輩から「幕末志士だと高杉晋作みたいですよね」と言われてスゴイ嬉しかったことがあるが、それは、言ってる方も言われた方も、司馬遼太郎の『世に棲む日日』の高杉晋作をイメージしていて、同じコンテキストで話が通じているのだから、いいでしょ。
『竜馬がゆく』にしても、あれは「物語」だと思っていて、そこに描かれていることが全て史実ではないと思って読んでいる人が大半で、多分、史実かどうかは関係なく、単純に明るく、楽しく、勇ましい竜馬に惹かれて読んでいるだけだと思う。
もっと言うと、大河ドラマ『龍馬伝』の福山雅治に惹かれて楽しんで観ていてもいいでしょ。
確かに、坂本龍馬や高杉晋作のような「英雄」が活躍する陰では、暗く陰湿な事件があったり、これら「英雄」の人格全てが素晴らしいものではなかったと思うけど、それは、司馬遼太郎の本を読んで、その「英雄」に興味を持って他の色々な本を読んで、自分自身で理解し考えればいいと思う。
この本はこの本で、色々な史実が出てきて面白いし、「〜の史料によれば・・・」というような記述すら作り話が多いというのは驚いたけど、なんとなく余計なお世話感が残る本でした。
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