モモ
時間泥棒によって、人間の「ゆとり」=遊んだり、歌をうたったり、友人と会話したり、といった時間がどんどん奪われるという話。
”時間”とは何か?をテーマにした児童文学なので、その捉え方は読む人によって色々だと思う。
人間が時間を節約すればするほど、どんどん生活がやせ細っていく、、、ということをわかり易く表現するために、大人たちがみな「あくせくと休むことなく働いている」ことを描写するシーンが数多く出てくるのだが、私のように「”時間”とは何か?」といったような哲学的な思考能力が欠如している人間は、もっと現実的に他のことを考えてしまう。
時間に「いい時間」と「悪い時間」があるとすれば、その違いは「時間の使い方を自分で決めているかどうか」だと思う。
起きている時間の大半を費やす仕事にしても、その時間をどう使うかを、全く第三者に決められてしまっている人間と、自分自身で「今、何をするか?」を考えコントロールしている人間がいる。
当然、前者が「悪い時間」で、後者が「いい時間」。
結局、あくせくを何かをするにしても、ゆったりとした時間を過ごすにしても、それを自分で選択して、自分で実行することが「いい時間」を過ごすということで、それは「生きる」という行為そのものなのだと思う。
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