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2007年3月18日 (日)

法隆寺の謎を解く

法隆寺の謎を解く
学生の頃、梅原猛の『隠された十字架』を読み、法隆寺が聖徳太子一族を滅亡させた人たちによって建てられた、怨霊を鎮めるための寺という説に夢中になった。
予想もつかないストーリー、情熱的な語り口、文章全体に流れる勢いに魅了されたのだ。

あれから20年。建築家である著者によって記された法隆寺の謎解きは、淡々とした語り口の中に、斑鳩の里のランドスケープや日本人の美的感覚を前提に、当時の建築物の変遷や、建築物を見るときの人の視線、感じ方に、時代を司った権力者達の遺志を織り交ぜ、新書とは思えない読み応えのある一冊であった。

最後に法隆寺を見てからもう20年近くが経つ。
さぁ、斑鳩の里に行ってみよう。
(2007/3/13)

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コメント

はじめまして。

私も『法隆寺の謎を解く』(武澤秀一著、ちくま新書)を読んで、「新書とは思えない読み応えのある一冊」と思いました。至極同感です。
この本を読んで、どうしてもまた法隆寺に行きたくなり、思い切って行ってきました(私の場合は30年ぶりでした)。
改めての感想は、この本で著者が言っていることに納得すること、しきりでした。やはり著者自身の経験にもとづく議論は、思い込み一辺倒(?)の議論とは一味違う説得力があります。
日本の古代に怨霊が跋扈していたことは認められるとしても、梅原さんの“法隆寺怨霊の寺”説に関しては、当てはまらないことが明らかになったように思いますが、いかがお考えですか?

投稿: まだらばと | 2007年3月21日 (水) 18時56分

まだらばとさん、はじめまして。

この本を読んでから、改めて『隠された十字架』をパラパラとめくってみたのですが、論理の飛躍が多すぎて正直つらかったです。(当時は本当に面白く読んだのですが)

誰の説が正しいかは私には検証できませんが、やはり一度法隆寺に行って、自分の目で確かめて、自分の感性で色んなことを感じてこようと思います。

投稿: te2ya | 2007年3月22日 (木) 22時49分

飛び入りです。よろしくお願いします。

梅原さんの本は熱気に溢れていて、その執念には圧倒されますが、どこかアブナイ、そんな印象がぬぐえませんでした。そうだろう、そうではないか、…それがいつの間にか、そうにちがいない、そうなのだ、と断定に変わってゆく、その集積であの本は成り立っている、そんな感じがしますね。むしろ小説として書かれたほうがよかったのでは? と思います。
その点、武澤さんはゆっくりとした足どりですが、気がつけば、梅原さんを背負い投げしています。読んでいてまさに目からウロコとは、このことでしょう。爽快な読後感がありました。
もっと話題になっていい本ですね。

投稿: 桜咲く | 2007年3月23日 (金) 08時27分

はじめまして、桜咲くさん。

確かに当時の梅原猛さんの著作は、「これでもかこれでもか!」という勢いがありますね。
ただ、そのおかげで聖徳太子、藤原不比等、記紀、仏教、、、と色んなことに興味が広がったので、本当にいい出会いがあったと思っています。

投稿: te2ya | 2007年3月25日 (日) 23時28分

お返事をいただき有難うございます。梅原さんのあの熱気は確かにスゴイ。かれは知のエロスといっていますが…正直、なぜ、ここにエロスが出てくるのか、いまいち、よくわかりませんでした(執筆中は禁欲していたのかな? これは妄想!)。
『法隆寺の謎を解く』はまったくタイプの異なる本ですが、冷静な分、説得力があるように思いました。ただ、この本は著者の武澤さんも言っているように、梅原さんにインスパイアーされて生まれたようです。とすれば、梅原さんのエロスが今回、新たな誕生のきっかけとなったわけで、なるほどエロスの効用きわまれり、ということでしょうか?

投稿: 桜咲く | 2007年3月27日 (火) 17時23分

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